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山歩き・不逞 其の七


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真友連盟事件・参考資料其の二

真友連盟事件・参考資料其の二

★朝鮮真友連盟事件 『労働運動』一九二七年第五次、掲載

栗原椋本両君連座事件の内容と経過

布施辰治 

 高官暗殺官庁破壊の大宣伝で、朝鮮の上下を驚倒した真友連盟治安維持法違反事件の発端は、予審免訴決定に依ると、当時「慢性モルヒネ中毒病に罹り居たることは、本件証人森本巌、谷重栄作、並びに佐藤傳吉の各証言、及び被告人安達得の供述に徴し明かなり」と云う被告安達得が、「右破壊団の組織に付窃盗横領等の犯行により司法警察官の取調べを受けて居たる際、犯行に関係無く、右破壊団組織の事実を供述したるに出づる」もので、其の経過は「同人を調べたる司法警察官に対し、安達得は、被告人鄭命俊が破壊団の宣言書一通を持ち行きたりとの事であった」と記述して居る。

 そして、其後の発展は、安達得の供述を信用した司法警察当局の「被告人鄭命俊に対する押収捜索並びに訊問の手続きを為すに至りたるものにして、其後他の被告人が右破壊団組織の事実を認むるに至ったものである」

 夫れに、警察当局が「各被告人の経歴若しくは後に明記せられたる犯行の序説として記載せられたるに過ぎずと認めらるる被告人栗原一男が、大正一四年六月中、無政府主義に基づく社会を建設することを目的とする自我人社なる結社を組織したること、並びに大正一五年一月中、同様の目的を有する黒色青年連盟なる結社を組織したること。被告人金正根が大正一五年一月中、同様の目的を以て黒友会なる結社及び黒色青年連盟を組織したる事、茲に、被告人椋本運雄が大正一五年二月中前者と同様の目的を有する黒化社なる結社及び前示黒色青年連盟を組織したることの意見と、

 處で、予審判事は、斯うした事件内容の起訴を(一)所謂破壊団の組織、(二)黒色青年連盟組織に分け、(一)の事実においては、「……右安達得に対する大正一五年九月一日付検事局尋問調書に、安達得は検事に対し本件関係人が、既決囚(当時安達得は既決囚として大邱刑務所に於て受刑中)を使嗾して真実の供述を為さしめざる様脅迫したりとの殆ど有り得可からざる事実の供述を為したる、記載あり、尚、安達得は、大正一五年三,四月頃栗原一男の大邱に来る前後、満鏡館において水害救済の講演不穏の言ありとて取り締りを受け、脱して被告人鄭命俊方に至りたるが、時恰も鄭命俊の父の誕生日に当たり居りたるが、其際、鄭命俊方付近にて朝鮮総督の暗殺を決議したりと供述せるも、右水害救済の事は、大正一四年七月中にして、真友連盟の組織は大正一四年九月二九日なり、又、鄭命俊の父の誕生日に相当する日、安達得の鄭命俊方に来たりたるも大正一四年陰六月一九日なりしことは、その後の取調べにより明らかなるが、要するに安達得の供述には明白なる矛盾を存す、既に右供述者が、自供の当時より慢性モルヒネ中毒症に罹り居り、且つ其供述に斯の如き矛盾の存する限り、同人の供述に基づき生じたる前示破壊団に関する事実の如きは他に何等的確なる証拠の存せざる限り遂に之を認むるを得ず』

と断案して免訴したのである。

 又、当の安達得氏は「抑も今回の事件たるや、不肖の痴愚なる無思慮より発生し其の類を諸氏に及ぼしたる罪で、吾等人間として法律上よりは暫く措き道徳上よりして到底免る々処にあらず、不肖日々煩悶する次第、先生に対しても殊更不面目此の上なく羞恥の至りであります」という手紙を寄越して居る。

 次に、(二)の黒色青年連盟等の組織に就いては、

「……被告人栗原一男の自我人社を組織し居りたる事実に付いては、其治安維持法第一条第一項に触るるものなることは明確にして、其他の金正根は椋本運雄等の結社組織の事実に付ては、其証據稍や明確ならざるものあるも之等結社の無政府主義を奉するものの集団なることは疑いを容れざる所、随て亦該結社組織の目的の那邊に在る矢も推知するに難からず、而市して、之等結社組織に付ては未だ当該犯罪地に於ても、治安維持法に触るるものとして訴追を為したる事無きが如く現に結社は存続せるところなるも、抑も治安維持法第一条は結社組織の目的が、苟も、国体の変革私有財産制度の否認に在る以上、他に何等此の目的に対する事実上の行為存在せずとも該犯罪成立に之を以て足るものと解釈す可く、亦斯の如きを処罰するに非ざれば結局該法制定の目的を達する能はざるものと謂う可し」

 と云う治安維持法論をして居るが、アマリにも明確を欠いた起訴状を不当とした予審判事は、

 然れれども……「今是等被告人に対する公訴事実を当審は右被告人栗原一男、金正根、及び椋本運雄に対する公訴事実は、同被告人等が、無政府主義に基ずく新社会実現の目的を達するためには暴行による直接行動を為す可き旨、真友連盟員に対し教嗾扇動したりとの事実の範囲を出でざるものと認むるを以て上記被告人三名の結社組織の事実は、正に法の正條に触るるものなりと雖も、之に付ては遂に公訴の提起無きものと認むるの外無きを如何せむ」

 とて残念ながら免訴の決定したものであるだから、検事が抗告したのかも知れず、又それだから抗告裁判所では

「被告人栗原一男は東京市内に於て、同志松永鹿一、小泉哲郎、古川時雄、井上新吉等と共に無政府主義的運動を目的とする結社《自我人社》を、被告人椋本運雄は同じく東京市内に於て深沼弘胤、麻生義、前田淳一等と共に同一目的を有する《黒化社》なる結社を組織し、又被告人金正根は朴烈こと朴準植が組織したる無政府主義的結社なる《黒友会》に加盟し、朴烈下獄の後は其の首領として現に同会の牛耳を執りたるが、同被告人等は相謀り、汎く全国に於ける無政府主義的思想の懐抱者を結合統一して其の目的とする理想社会の実現運動を促進せしめんことを企画し、大正一五年一月中、右被告人等の組織せる自我人社、黒友会、及び黒化社を中心として、黒旋風社、解放戦線社、自由労働運動社、関東労働組合連合会、其他各地の無政府主義傾向に在る団体を糾合して黒色青年連盟なる一大結社を統合し、其の本部を東京市内に置き爾来被告人等は主動の位置に在りて不穏文書の配布、通信集会協議、其他の方法に依り同志間に於ける連絡を密接ならしむると共に其の目的達成の為には騒擾暴行其の他生命身体又ま財産に危害を加ふべき犯罪を暗示せる所謂破壊的直接行動に依るの外なき旨を以て内地並に朝鮮に於ける同志を激励煽動し居りたるものなり」

 と決定して、前の免訴を取消し、更めて公判に附したのである。

朝鮮大邱に於ける真友連盟の事件の真相は以上布施氏の報告によって尽くされている。我等の同志に加へられつつあるこの強暴なる迫害に憤起した黒色青年連盟は、去る6月23日及び7月4日、朝鮮総督府東京出張所並びに司法省に殺到し、次の抗議書を突きつけて同事件の関係者の即時釈放を要求した。  

抗議書  

現在、朝鮮大邱府大邱刑務所に捕われつつある同志椋本運雄、栗原一男、金正根の三名は大正15年8月、朝鮮官憲の依頼により警視庁より護送されたものである。該検挙の理由は、予審決定書の示す通り、只無政府主義者を抱懐するという実に根拠薄弱なものであり、且つ直接的原因なる朝鮮真友連盟の爆破事件なるものの真相も、一モルヒネ患者の病的缺陥を奇禍とし、官憲がモルヒネ注射を交換条件として捏造的自白を強いたるものと伝えられている。而も此の事件は、第一回予審に於て免訴となり、検事控訴により覆審院に廻付され、改めて10年の求刑を受けたものである。

 万人が等しく此の事件を捏造的事件であると見做しているにも拘らず、独り官憲のみが何等かあるものの如く取り扱ふは、必ずやそこに何等かあるものの如く取扱ふは、必ずやそこに何等かの魂胆があってのことは明らかである。尚又、現在台湾にこれと略同様の困危に遭遇しつつある黒色連盟事件がある。  我等は飽まで此の不法監禁に反対すると同時に、両事件の同志全部の即時釈放を茲に要求する。

                                                            昭和2年6月23日   黒色青年連盟

★<金君の訃>六月一五日附 『自由連合新聞』掲載

 先に報道した朝鮮大邱に於ける真友連盟事件のために、無実の罪を負わされて五年の刑を受けることになっていた、同志金墨君は肺患重って貴付出獄で京城の父君の許に静養していたが、病勢あらたまり、<一九二八年>八月六日終に逝いた。

…… R君よ!朝鮮衣服のの事は実に有難く思います。実は僕の朝鮮衣服は京城の父親宅から送って貰って、今まで着ています。君から来た着物は、椋本、栗原両君の中で誰にでも入れてやる積もりでいたのです……。

 矢張り通信不自由で、こちらから出すには、何らかの理由を附なくては、特別の許可が出ない訳である。受ける方の手紙は比較的にいいようですから、誰でも手紙は読みたいですから、お頼みします。

 それは日本の社会運動-労働運動や無政府主義運動は、縮めて言えば、恰度××××不徹底な人間である。

 だから、メーデーを千番やっても、労働組合を万組作ろうが、或いはコミュニストが百万人になったとて、それが何に役立つのであるか?こうしたことを長々と言いたくもない。それは僕自身が×××であるからである。

 僕はこうした一切の欺瞞的な運動を軽蔑し排斥する。(四、二五)



★ 「真友連盟の同志等出獄」  『自由連合新聞』四六号一九三〇年四月一日

何の理由も泣く検挙され、不法にも治維法を適用されて以来三カ年を獄中に送った真友連盟員諸君はその後続々と出獄中であるが、去る一月二十四日と二十五日に馬鳴、禹雲海の両君は元気で出獄した。目下大邱の自宅で静養中であるが伝うるところに依れば、馬君は約一週間前、犯人逮捕を妨害したとかで再び「公務執行妨害」とういうイイ加減な罪名で検挙されている由。



略クロニクル

1926年8月、検束 真友連盟治安維持法違反被告として大邱に送られ 絶食抗争

1927年3月7日、一旦予審免訴の決定 執拗な検事の抗告

5月12日、予審免訴取り消し、公判に附する有罪決定

5月26日、公判

6月9日、公判

6月14日、公判

6月25日、決定言い渡し

警察当局

栗原一男 1925年6月、自我人社組織 1926年1月、黒色青年連盟組織、

金正根 1926年1月、黒友会、黒色青年連盟組織、

椋本運雄 1926年2月、前者と同様の目的、黒化社、黒色青年連盟組織

水害救済の事は、1925年7月中にして、

真友連盟の組織は1925年9月29日なり、

また、鄭命俊の父の誕生日に相当する日、安達得の鄭命俊方に来たりたるも1925年陰6月19日なりしことは、

その後の取調べにより明らかなるが、要するに安達得の供述には明白なる矛盾を存す








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by futei7 | 2001-07-21 09:12
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